エルトン・ジョン

エルトン・ジョンの名曲ランキング(英ガーディアン紙選出)

英歌手エルトン・ジョン(Elton John)の名曲ランキングです。イギリスの高級紙ガーディアンが2018年に選出しました。 1位は「タイニー・ダンサー」、 2位は「ロケット・マン」、 3位は「土曜の夜は僕の生きがい(サタデー・ナイツ・オールライト)」、 4位は「ユア・ソング(Your Song)」になっています。 Youtube(ユーチューブ)の動画(ライブやMV)付きで紹介します。 エルトンといえば、世界史上4番目に多くのレコードを売ったアーティスト。(1位はビートルズ、2位はプレスリー、3位はマイケル・ジャクソン)。 それだけに歴代の名曲やヒット曲の数は膨大です。本ランキングは全盛期の1970年代を中心に、80年代、90年代、そして2000年代の優れた曲がバランスよく入っています。 映画「ロケットマン」で使用された曲、ディズニーアニメ「ライオンキング」の主題歌、ダイアナ妃の追悼歌などもランクインしています。(MOVE編集部)

トップ1011~20位

トップ10

順位 曲名、発売年、動画 解説
「タイニー・ダンサー」
(Tiny Dancer)

1972年2月

※邦題は「かわいいダンサー(マキシンに捧ぐ)」

公式動画→

歌詞付き→

BBC放送での独演(1971年)→

映画「ロケットマン」主演男優とエルトンの共演ライブ→

映画「ロケットマン」サントラ→

映画「あの頃ペニー・レインと」の名場面→
軽快でまぶしく、かつドラマチックな名曲。 エルトンの静かなピアノの演奏と歌唱から始まり、 弦楽器が徐々に絡んでいく。 終盤の分厚いバックコーラスとともに静かな躍動感へと導く。 車でドライブ中に流すのに最高の曲とも言われている。

エルトンが24歳のときに発表された。 前年(1971年)に「ユア・ソング」が初めてのヒット作となり、 勢いに乗る中でリリースされた4枚目のアルバム「マッドマン」の冒頭を飾っている。

エルトンの他の大半の曲と同様に、 作曲をエルトン、作詞を相棒のバーニー・トーピンが手掛けた。 米国カリフォルニアに滞在中に書かれたという。 エルトンの才能を最初に見いだしたアメリカへの思いを、若き2人のイギリス人が綴った。 バーニーの歴代の詩の中でも最高傑作の一つと評価されている。

曲名の「Tiny Dancer(とても小さなダンサー)」とは、 バーニーがロサンゼルスで出会った女性マキシンを指している。 1970年秋にエルトンの初の米国公演に同行したバーニーは、 当時18歳だったマキシンと出会い、 恋に堕ちる。 マキシンはそのままエルトンの米ツアーに同行し、 メンバーたちの裁縫師として活動した。(2人は翌年結婚し、後に離婚)。

「Blue jean baby, L.A. lady、 Seamstress for the band(青いジーパンのロサンゼルスの女の子、バンドの裁縫師)」で始まる歌詞は、 1960年代から70年代にかけてのカリフォルニアの自由な風土を映し出した詩として親しまれている。 発売から45年後の2017年に制作された公式動画も、カリフォルニアの人たちの日常が描写された。

その長いキャリアの中で100曲近いヒット作を生んだエルトンだが、 この曲は発売当初はヒットしなかった(米国で最高41位)。 ところが、2000年のハリウッド映画「あの頃ペニー・レインと」で使用され、 一躍有名となる。 映画のシーンでは、ロックバンドのツアーバスでこの曲が流れると、 それまで喧嘩していたメンバーたちの雰囲気が変わるという内容。 音楽の持つ力を表現した名場面として絶賛された。

2011年にようやく米国で100万枚売れるミリオンセラーとなった。

収録アルバム「マッドマン」試聴(Amazon)→
「ロケット・マン」
(Rocket Man)

1972年3月

公式動画→

ライブ(1972年)→

ライブ(2000年)→

映画「ロケットマン」(主演タロン・エガートン)→
エルトンらしいソフトなロックソング。 家族愛や日常生活の悲哀を、切ない歌声とピアノで見事に表現しており、 歴史を超えて共感される曲になっている。

曲名の「ロケットマン」とは、宇宙飛行士のことを指している。 未来を舞台に、 これから仕事で宇宙に出かけようとする飛行士が、 しばらく家族と会えなくなることを嘆いている歌。 まるで電車で長期出張に行くときの現代サラリーマンのようなボヤキに満ちており、 宇宙旅行から連想されがちな夢やSF的な世界はない。 それがかえって聴く側に親近感を与える。

母国イギリスでなかなかヒットシングルに恵まれなかった初期のエルトンにとって、 初めて英チャート2位の成功を果たした。 その後も長期間にわたってじわじわと売れ続けた。 発売から47年の歳月を経て、自伝映画のタイトルとして使用されることとなる。

5枚目のアルバム「ホンキー・シャトー」の先行シングルとして発売された。 ホンキー・シャトーは初の全米1位に輝き、 エルトンの人気を決定的なものにした。 雑誌「レコード・コレクターズ」のエルトン・ジョン特集号(1997年10月号)では、「快作」「過去のアルバムになかった開放感が全編に漂っている」(音楽家・和久井光司)と評されている。

収録アルバム「ホンキー・シャトー」の試聴(Amazon)→
「土曜の夜は僕の生きがい(サタデー・ナイツ・オールライト)」
(Saturday Night's Alright for Fighting)

1973年7月

公式動画(音だけ)→

ライブ→

映画「ロケットマン」(主演タロン・エガートン)→

映画「ファンダンゴ」→

クイーンによるカバー→
エルトン・ジョンのシングルの中で最もハードなロックソング。 エネルギッシュで、ライブ感にあふれている。

エルトンの最高傑作と評価されている7枚目のアルバム「黄昏(たそがれ)のレンガ路」(Goodbye Yellow Brick Road)からの先行シングルとしてリリースされた。 この曲により「メロディアスなシンガー・ソング・ライター」というデビュー以来のエルトンのイメージの幅が広がった。

パワフルなギターのコードが強烈な印象を与える。 その音にかぶせて「サタデー」「サタデー」という言葉が何度も繰り返される。 曲名の「Saturday Night's Alright for Fighting」は「土曜の夜は喧嘩にもってこい」という意味。 「週休1日」が一般的だった時代において、「サタデーナイト」が与えてくれる開放感を存分に伝えてくれる歌になっている。

作詞はバーニー・トーピン。 10代半ばのころ、週末になるとパブやダンスホールで酔っ払い、 若者同士で喧嘩が絶えなかったという思い出を基にしているという。

エルトンのコンサートの定番となった。 最後に盛り上げる曲として使われることが多かった。

英バンド、クイーンがコンサートでよく演奏していた曲でもある。 1980年代のツアーで終盤に「隠し玉」として披露されることがあり、 1982年の神戸公演や1985年の大阪公演でも演奏された。

ケビン・コスナー主演の青春映画「ファンダンゴ」(1985年)のテーマ曲として使用された。

この曲を収録した「黄昏のレンガ路」(Goodbye Yellow Brick Road)は、 2枚組として発売された。 多様な佳作がそろっており、 初期エルトンの集大成とされる。 米ビルボードの週間チャートはもちろん、年間チャートでも1位となった。 ベスト盤を除けばエルトンにとって最も売れたアルバム。 ローリングストーン誌が選んだ史上最高のアルバムのランキングで91位に選ばれている。

収録アルバム「黄昏のレンガ路」試聴(Amazon)→
「ユア・ソング」
(Your Song)

1971年1月

※邦題は「僕の歌は君の歌」

公式MV→

生演奏(1971年)→

ライブ(2004年)→

映画「ロケットマン」(主演タロン・エガートン)→
エルトンの最初のヒット曲。 膨大なレパートリーの中で最も有名な曲でもある。 究極のラブソングとして、世界中で愛されている。 相手に愛情を伝えるためにこの曲を歌う人も多い。

エルトンの優しくかげりのある歌声が秀逸。 落ち着いたメロディがクラシック調のピアノで奏でられ、 チェロなどの管楽器の静かな音と重なる。 純愛を繊細なタッチで表現したバーニー・トーピンの歌詞も、涙を誘う。 まさに不朽の名作。

まだ知名度が低く、売れていなかった時代に制作された。 2枚目のアルバム『Elton John(邦題・僕の歌は君の歌)』の冒頭を飾っている。 シングル「Take Me to the Pilot(パイロットにつれていって)」のB面としてリリースされたが、 アメリカのDJたちがB面の方を気に入ったことから、すぐにA面に差し替えられた。 米ビルボードで8位まで上昇。 米国での人気につられる形で、母国イギリスでもトップ10入りを果たした。

この曲のヒットを受けて、 アルバムも全米4位のヒットとなった。 天才的なシンガー・ソング・ライターの登場にアメリカの音楽業界は衝撃を受け、 グラミー賞の最優秀アルバム賞と新人賞にもノミネートされた。

収録アルバム「Elton John(邦題・僕の歌は君の歌)」の試聴(Amazon)→
「ベニーとジェッツ(奴らの演奏は最高)」
(Bennie And The Jets)

1974年5月

公式MV→

ライブ(1980年)→

ライブ(2005年)→
エルトンが初めてヒットさせたソウル調の曲。 ファンキーなロック。

当初、エルトン本人はシングルとして出すことに反対したが、 発売したところ、 米国の黒人層向けのラジオで好評を博した。 これまでと違うファンを取り込み、 全米1位に。1974年の年間チャートでも9位の大成功を収めた。

曲名の「ベニー&ジェッツ」とは、 作詞のバーニー・トーピンが考えた架空のバンド名。 商業主義が目立つようになってきた1970年代前半の音楽業界を皮肉った詩だという。

収録アルバム「黄昏のレンガ路」試聴(Amazon)→
「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」
(Goodbye Yellow Brick Road)

1973年10月

公式動画(音だけ)→

ライブ(来日公演、1998年)→

ライブ(2013年)→

ライブ(ビリー・ジョエルとの共演、2000年)→
デリケートで美しいバラード。1970年代に流行した「ソフト・ロック」の一種として位置づけられている。

エルトンの最高傑作といわれるアルバム『黄昏のレンガ路』(Goodbye Yellow Brick Road)のタイトルソング。 アルバムから2枚目のシングルとして発売された。 1枚目のシングル「土曜の夜は僕の生きがい(サタデー・ナイツ・オールライト)」を上回るヒットとなった。

1939年のアメリカ映画「オズの魔法使」から着想を得たという。 映画のなかで、主人公の少女ドロシーは「黄色のレンガ道(Yellow Brick Road)」をたどって、オズの魔法使いを探す旅に出る。 実は、作詞のバーニー・トーピンが生まれて初めて見た映画が、このオズの魔法使だったという。 エルトンと共に超売れっ子となったバーニーだが、 派手なセレブ生活には違和感を感じていたとされる。 この曲の詩には、子供のころの静かな田舎暮らしへの郷愁をにじませたとも言われている。

収録アルバム「黄昏のレンガ路」試聴(Amazon)→
「モナ・リザ・アンド・マッド・ハッター」
(Mona Lisas and Mad Hatters)

1972年1月

公式動画(音だけ)→

ライブ(1972年)→

ライブ(2001年)→
エルトン・ジョン自身が「最も好きな曲の一つ」と公言している歌。 シングルカットはされなかったが、ファンの間でも「裏名曲」として愛され続けてきた。 エルトンらしい黄昏のメロディを、最小限の楽器演奏とボーカルでしっとりと聞かせる。

作詞担当のバーニー・トーピンが、初めてニューヨークを訪れたとき、 宿泊先のホテルで窓の外から銃声を聞いた体験が元になっている。 ニューヨークのヒスパニック系住民の地区「スパニッシュ・ハーレム」が、 ソウル歌手ベン・E・キングの名曲「Spanish Harlem」で描かれたような希望と美談ばかりの街ではない、 ということを悲しそうに綴っている。

題名の「モナ・リザ」には「美しいけどすました女性」「近寄りがたい女性」という意味がある。 一方、「マッド・ハッター」は「ドラッグの売人」という意味がある。

ニューヨークの「911同時テロ」の追悼ライブでも歌われた。

収録アルバム「ホンキー・シャトー」の試聴(Amazon)→
「悲しみのバラード」
(Sorry Seems To Be the Hardest Word)

1976年11月

公式動画→

ライブ(1976年)→

ライブ(1986年)→

ブルーとのデュエット→
恋にやぶれた男性がひたすら悲しむ失恋ソング。

「どうしたら愛してもらえるの?」という問いかけから始まり、 「悲しいよ」「もうやり直せないのかなあ」などと率直な言葉で嘆く。 曲のタイトルは「『ごめんなさい』という言葉は、世の中で一番辛いんだね」という意味。 このフレーズで曲が締めくくられる。

他の曲と同様、作曲はエルトン・ジョン、作詞はバーニー・トーピン。 この黄金コンビは通常、バーニーが詩を書いた紙をエルトンに渡し、 エルトンがピアノで曲をつくるというのがパターンだった。 しかし、この曲についてはロサンゼルスのマンションに2人でいるとき、 エルトンが先にメロディとサビの言葉を思いつき、 それを気に入ったバーニーが完成させたという。

11枚目のアルバム「蒼い肖像(Blue Moves)」に収録された。 このアルバムは自ら立ち上げたレコード会社「ロケット・レコード」からの第一弾作品で、2枚組。 ツアー活動に疲れ果てたエルトンが、自己を見つめ直しながら制作したとされる。 全体的にトーンが暗い。

本曲が最初のシングルとしてリリースされてヒット。アメリカの1977年の年間チャートで95位。 ミリオンセラーを達成した。 2002年に英国のボーイバンド「ブルー」が、エルトンを迎えてカバーし、大ヒット。イギリスで1位になった。 ジョー・コッカーやレイ・チャールズもカバーした。

収録アルバム「蒼い肖像」の試聴(Amazon)→
「ソング・フォー・ガイ」
(Song for Guy)

1978年11月

公式動画(音だけ)→

ライブ(1978年)→
ボーカルがほとんど入らず、楽器だけで演奏されるインストゥルメンタルの曲。 エルトンのピアノの独奏で始まり、ドラムマシーンなどが加わる。 終盤にエルトンが「Life Isn't everything(命がすべてではない)」と静かに語る。 歴代の作品の中でもとりわけ傷心的なメロディの曲として受け止められている。

作曲をしたエルトンによれば、曲のテーマは「死」だという。 ある日曜日、自分自身が死んでいく姿を宇宙から見下ろしている場面が目に浮かんだ。そして、死という概念にとりつかれながらこの曲を書いた。 翌日、自分たちのもとで働いていた17歳のメッセンジャーボーイが交通事故で前の日に亡くなったことを知った。 この曲はその少年に捧げられている。

アルバム『シングル・マン』から2枚目のシングルとして発売され、 イギリスでヒットした。 しかし、 アメリカでは、インストゥルメンタルであることもあり、 レコード会社MCAが売り込みをしなかったため、 チャートに入らなかった。 エルトンはこのときのMCAの対応が気に入らず、 後に契約を解除する原因の一つになったという。

アルバム『シングル・マン』は、 デビュー当初から一貫して共作者だった作詞家バーニー・トーピンと袂を分かち、 別の作詞家を迎えて制作された。

収録アルバム「シングル・マン」の試聴(Amazon)→
10 「エンプティ・ガーデン」
(Empty Garden (Hey Hey Johnny))

1982年3月

公式動画→

ライブ(1982年)→

ライブ(2007年)→


収録アルバム「ジャンプ・アップ」の試聴(Amazon)→

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■ 11位~20位
順位 曲名、発売年、動画 解説
11 「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」
(Candle in the Wind)

1974年2月

公式動画(音だけ)→

ライブ(1986年、オーストラリア)→

ダイアナ妃追悼の生演奏(1997年)→

ライブ→
旧邦題:「風の中の火のように(孤独な歌手、ノーマ・ジーン)」

収録アルバム「黄昏のレンガ路」試聴(Amazon)→
12 「恋にご用心」
(Are You Ready for Love(remix))

2003年8月

公式動画→

ライブ(2007年)→

ライブ(2007年)→

オリジナル・バージョン(1976年)→


収録アルバム「コンプリート・トム・ベル・セッションズ」試聴(Amazon)→
13 「フォラデルフィア・フリーダム」
(Philadelphia Freedom)

1975年2月

公式動画(音だけ)→

ライブ(1975年)→

ライブ(2002年)→


収録アルバム「フィラデルフィア・フリーダム ~グレイテスト・ヒッツ VOL.2 」のCD(Amazon)→
14 「サクリファイス」
(Sacrifice)

1989年10月

公式動画→

ライブ(1990年)→

ライブ(2005年)→


収録アルバム「スリーピング・ウィズ・ザ・パスト」の試聴(Amazon)→
15 「僕を救ったプリマドンナ」
(Someone Saved My Life Tonight)

1975年10月

公式動画(音だけ)→

ライブ(1980年)→

ライブ(1995年)→


収録アルバム「キャプテン・ファンタスティック」の試聴(Amazon)→
16 「人生とは腐った桃のよう」
(Rotten Peaches)

1971年11月

公式動画(音だけ)→


収録アルバム「マッドマン」試聴(Amazon)→
17 「リーヴォンの生涯 」
(Levon)

1971年11月

公式動画(音だけ)→


収録アルバム「マッドマン」試聴(Amazon)→
18 「クロコダイル・ロック」
(Crocodile Rock)

1972年10月

公式動画(音だけ)→


収録アルバム「ピアニストを撃つな!」の試聴(Amazon)→
19 「あばずれさんのお帰り」
(The Bitch Is Back)

1974年9月

公式動画(音だけ)→


収録アルバム「カリブ」のCD(Amazon)→
20 「僕の小さなわがまま」
(Ego)

1978年3月

公式動画(音だけ)→


収録アルバム「シングル・マン」の試聴(Amazon)→

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【出典/参考】
英ガーディアン紙(英語)