洋楽

「R&B/ソウルミュージック」の最も偉大なアーティスト

R&B(リズム・アンド・ブルース)及びソウル・ミュージックの分野で歴史上、最も偉大なアーティストのランキングです。 20世紀のアメリカの黒人音楽(ブラック・ミュージック)から生まれたR&Bとソウル・ミュージックは、 ロックやヒップホップとともに、世界の現代音楽(ポピュラー・ミュージック)の主流となりました。 このランキングは、 アメリカの情報サイト「Thought Co.」が、2017年に選出したものです。 正式名は「R&BとSoulのオールタイム・グレイテスト・アーティスト20人」。 代表曲や有名な曲のYoutube(ユーチューブ)動画とともに、一覧表(リスト)にしました。(MOVE編集部 洋楽チーム)

1位~10位

順位 アーティスト 解説
マイケル・ジャクソン
(Michael Jackson)

1967年 -
2009年

マイケル・ジャクソン

【動画】
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<ビリー・ジーン>

<今夜はビート・イット>

<スリラー>

<マン・イン・ザ・ミラー>


【音楽配信】
「スリラー」試聴(Amazon)→
歌とダンスで世界を魅了した「ポップの王様」(king of Pop)であり、 最強のエンターテイナー。 史上最も売れたアルバム「スリラー」(1982年)を生み出した。

また、史上11番目に売れたアルバム「バッド」(1987年)、 22番目に売れたアルバム「オフ・ザ・ウォール」(1979年)もリリースした。

ビートルズ、エルビス・プレスリーに次いで最も歴史上、もっとも売れたアーティストとして位置づけられている。

幼少期に参加した兄弟グループ「ジャクソン5」の時代から天才的な歌唱力を披露し、 若くしてアメリカの国民的な人気者になった。

1979年のソロアルバム「オフ・ザ・ウォール」の大成功で実力派シンガーとしての評価を固める。

さらに、「スリラー」が空前のヒットを記録し、 伝説的な存在になる。 「ムーンウォーク」や、 スリラーのビデオでみせた振り付けは、 ダンスの世界で定番となった。

R&Bという枠にとらわれず、 ポップ、ロック、ディスコなど幅広いジャンルの音楽を取り入れた。

代表的なアルバムの中では、初期のヒット作「ベン」がR&Bとソウルの要素が強いとされている。 「オフ・ザ・ウォール」や「デンジャラス」も、R&B色が強めと考えられている。

50歳で死去。睡眠薬の過剰摂取が原因と見られている。 死後に公開されたドキュメンタリー映画「THIS IS IT」が日本などで大ヒットし、若い世代のファンを増やした。
アレサ・フランクリン
(Aretha Franklin)

1956年 -
2018年

アレサ・フランクリン

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<リスペクト>


【音楽配信】
代表的な名盤5枚をセットにしたアルバム(試聴、Amazon)→
米国史上最も尊敬を集めた女性歌手であり、「ソウルの女王」と呼ばれる。

ソウルに詳しい音楽評論家ピーター・バラカン氏の名著「魂(ソウル)のゆくえ」によると、 牧師の娘として南部メンフィスに生まれ、デトロイトで育った。 幼いころから父親が牧師を務める教会でゴルペルを歌い、天才的な才能を発揮したという。

25歳の1967年に本格的なデビュー曲となった「貴方だけを愛して」(I Never Loved a Man (The Way I Love You))が、全米トップ10の大ヒット。 ソウルの代名詞ともいえる曲となった。

その後のシングル「リスペクト」が全米ナンバー1に輝く。 リスペクトは、公民権運動(差別撤廃運動)やフェミニスト運動を象徴する歌ともなった。

この後も名曲を連発。「天才的に歌のうまい人ですから、なにを歌っても素晴らしい名演」(バラカン氏)となった。
例えば、ポップ歌手キャロル・キングが作曲した「ナチュラル・ウーマン」((You Make Me Feel Like) A Natural Woman)も、 アレサが歌うことで、「見事なソウル・ナンバー」(バラカン氏)に生まれ変わった。

伝説的なコメディ映画「ブルース・ブラザース」(1980年)に出演。「シンク」を披露し、 日本の若者たちにも強烈なインパクトを与えた。

1987年には、人気絶頂だった英国歌手ジョージ・マイケルとのデュエット「愛のおとずれ」(I Knew You Were Waiting (For Me))で再び全米1位を獲得するなど、 時代を越えた活躍を見せた。
ジェームス・ブラウン
(James Brown)

1953年 -
2006年

ジェームス・ブラウン

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<セックス・マシーン>


【音楽配信】
ベスト盤の試聴(Amazon)→
伝説的なNYアポロ劇場のライブ→
ソウル界のゴッド・ファーザー。 「ファンク」というジャンルを確立した立役者。 プリンスやブルーノ・マーズら多数のミュージシャンに大きな影響を与えた。

ヒップホップを含めた幅広いジャンルの音楽家に崇拝されている。 ステージ・パフォーマーとしても伝説的な存在。 「セックス・マシーン」 「ザ・ペイバック」など、ヒット曲は多い。
スティービー・ワンダー
(Stevie Wonder)

1961年 -

スティービー・ワンダー

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<愛するデューク>

<迷信>

<心の愛>
20世紀後半に最も活躍した歌手の一人。 歌唱、作曲、マルチな楽器演奏で世界を魅了してきた。

生後間もなく盲目となるも、 幼少期から「神童」と呼ばれるほど優れた音楽の才能を発揮。 11歳でモータウンからデビューした。 翌年の1963年に発売されたシングル「フィンガーティップ パート1」と、 収録のライブアルバムがそれぞれ全米1位となった。

以降、長年にわたり毎年のようにヒット曲を出す。 1976年の18枚目のアルバム「キー・オブ・ライフ」が米国だけで1000枚のセールスを記録。 グラミー賞の最優秀アルバム賞を獲得した。シングルカットされた「愛するデューク」も代表曲として知られている。

このほか、「迷信」「サンシャイン」「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」などが有名。 30曲以上の全米トップ10ヒット。 累計1憶枚以上のレコードを売った。 計22部門でグラミー賞を受賞。
ホイットニー・ヒューストン
(Whitney Houston)

1963年 -
2012年

ホイットニー・ヒューストン

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<オールウェイズ・ラブ・ユー>


【音楽配信】
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1980年代後半から90年代を中心に活躍したアメリカの歌手。 ギネスブックでは、史上最も賞を受賞した女性として認定されている。 ソウルフルな熱さや力強さと、ポップな軽快さを兼ね備え、 甘く切ないラブバラードからスタイリッシュなダンスナンバーまで幅広く歌い上げた。 日本を含む世界中で熱烈な支持を得た。

1985年のデビューアルバム「そよ風の贈りもの」が、 女性アーティストとして史上最高の売上高を記録。 2作目のアルバム「ホイットニーII〜すてきなSomebody」も大ヒット。 1992年に初めて主演した映画「ボディガード」のサントラは、 記録的なヒットとなり、 世界史上4番目に売れたアルバムとなった。 そこからシングルカットされた「オールウェイズ・ラブ・ユー」も空前の売れ行きとなり、 世界中の人たちが熱唱した。 後の黒人女性アーティストたちにも大きな影響を与えた。

2000年ごろから薬物乱用のニュースが話題となり、 制作活動は停滞。 コカイン使用などにより、48歳の若さで死去した。
ダイアナ・ロス
(Diana Ross)

1959年 -

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<スエイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ>

<マホガニーのテーマ>

<エンドレス・ラブ>
ソロとグループ時代をあわせて18曲の全米ビルボード1位を獲得。 女性として最も成功した歌手の一人と評されている。

デトロイト出身。10代のときに仲間とともに3人組グループ「シュープリームス」を結成し、デビュー。 リードボーカルを務め、「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」「恋はあせらず」「キープ・ミー・ハンギン・オン」などの大ヒット曲を連発した。

黒人音楽専門のレコード会社として一世を風靡した「モータウン」にとって、 シュープリームスは1960年代の看板アーティストとなった。
1970年にソロになった後も、 「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」「マホガニーのテーマ」などで全米1位になるなど、 コンスタントにヒット曲を出した。 1981年のライオネル・リッチーのデュエット「エンドレス・ラブ」は記録的な大ヒットとなった。
マーヴィン・ゲイ
(Marvin Gaye)

1958年 -
1984年

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<悲しいうわさ>

<エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ>

<ホワッツ・ゴーイン・オン>
モータウンが生んだ偉大な音楽家。 1960年代に毎年のように全米ヒット曲を生み出した(「悲しいうわさ」やデュエット曲「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」など)。

休養を経て、1971年に自らプロデュースと作曲を手掛けた傑作アルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」を発表。 ベトナム戦争や公害、貧困などの問題を扱ったコンセプトアルバムとし社会に大きなインパクトを与える。 反戦ソングであるタイトル曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」、環境破壊を嘆く「マーシー・マーシー・ミー」などの名曲がシングルカットされた。

レコード会社(モータウン)の反対を押し切って政治色のある作品をつくり、芸術性と商業面の両方で大成功させたことは、 他のブラックミュージシャンたちに大きな勇気を与えたとされる。 さらに、1973年、性欲をロマンチックに歌い上げた名曲「レッツ・ゲット・イット・オン」を生み出すなど、
創造性をいかんなく発揮した。 1982年には「セクシャル・ヒーリング」を大ヒット曲させる。
しかし、その2年後、実の父親に射殺されるという悲劇にみまわれ、44歳で亡くなった。
レイ・チャールズ
(Ray Charles)

1930年 -
2004年

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<ホワッド・アイ・セイ>

<我が心のジョージア>
ソウル史上最高のシンガー・ソング・ライター。 R&Bやブルース、ゴスペル、ジャズを組み合わせて、 世界中に愛されるソウルミュージックをつくりあげた。 「ホワッド・アイ・セイ」 「我が心のジョージア」などが有名。

6歳で失明し、ハンディを抱えながらも、 1950年代から亡くなる2000年代まで半世紀にわたって活躍した。
スモーキー・ロビンソン
(Smokey Robinson)

1955年 -
1972年

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<トラックス・オブ・マイ・ティアーズ>

<ビーイング・ウィズ・ユー>


【音楽配信】
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現代のブラックミュージック史上、もっと偉大な歌手の一人であり、作曲家であり、プロデューサー。モータウンの副社長として、モータウン黄金時代を築いた偉人。

モータウン・サウンドは1960年代にデトロイトで生まれた黒人音楽。 白人のリスナーを意識してつくられたキャッチ―なメロディーと、軽快なサウンドを特徴とする。 同じころの公民権運動の盛り上がりとも連動し、当時の若者から人気を集めた。

スモーキー・ロビンソンは、初期のモータウンの顔となった。 ミラクルズのリードシンガーとして活躍。 その裏声のような高音の歌声(ファルセット)によって、多くの後続の歌手たちにも影響を与えた。
10 ライオネル・リッチー
(Lionel Richie)

1949年 -

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<ハロー>

<セイ・ユー・セイ・ミー>

<エンドレス・ラブ>

<永遠の人に捧げる歌>


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ポップの黄金時代の1980年代に君臨したラブバラードの王者。 だれもが親しめるような美しい曲を次々とリリースし、ヒット曲を量産した。

1970年にソウルバンド「コモドアーズ」のボーカルおよび作曲家・作詞家として活躍。 「永遠の人に捧げる歌(Three times a lady)」「スティル」を全米1位に導いた。

その後ソロデビューし、自ら作詞・作曲したダイアナ・ロスとのデュエット「エンドレス・ラブ」(1981年)で一世を風靡。 世界各地でナンバー1となった。 全米では9週連続で1位となり、年間チャートでも2位となった。 この曲は、数十年にわたってカラオケや合唱の定番になった。 ビルボード誌から「史上最高のデュエット曲」に選ばれた。
「トゥルーリー」「ハロー」「オール・ナイト・ロング」「セイ・ユー・セイ・ミー」も全米1位になった。 この間、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をマイケル・ジャクソンとともに作詞・作曲した。

アルバム「オール・ナイト・ロング」で1984年のグラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞。 ただ、プリンスの「バープル・レイン」やブルース・スプリングスティーンお「ボン・イン・ザ・USA」といった歴史的評価の高い作品をさしおいての受賞をめぐっては、 疑問の声も多い。
1990年代以降も活動を続けたが、ヒットからは遠ざかった。
11 プリンス
(Prince)

1976年 - 2016年

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<ビートに抱かれて>

<パープル・レイン>

<バットダンス>

<サイン・オブ・ザ・タイムス>


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ファンクやロック、エレクトロニック音楽を融合させ、 1980年代に大衆的な黒人音楽の新境地を拓いた。 80年代から90年代初頭にかけて、革新的な新作アルバムをほぼ毎年リリース。その大半がミリオンセラーとなった。 中でも「パープル・レイン」「サイン・オブ・ザ・タイムス」などは歴史に残る名盤として称えられている。

色気があり、妖しげな音色が特徴。 サウンドもパフォーマンスもスタイリッシュで、 男女を問わず世界中で崇拝者を獲得した。 一人でいくつもの楽器を演奏する天才ミュージシャンとして、 57歳で亡くなるまで精力的に制作とライブ活動を続けた。

ソングライター(作曲・作詞家)としても大活躍し、シネイド・オコナーの「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー」や、チャカ・カーンの最大のヒット曲となった「アイ・フィール・フォー・ユー」を手掛けた。
12 アル・グリーン
(Al Green)

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<レッツ・ステイ・トゥゲザー>
1970年代にヒットを連発したソウル歌手。 「最後の偉大なソウルシンガー」とも称される。

ソフトな歌声が持ち味。 聴き手を包み込むような歌唱スタイルと、 洗練された絶妙な節回しでリスナーを魅了した。 ロマンチックなラブソングを得意としている。

1974年に交際相手の女性が自殺したのをきっかけに、 生活を悔い改める決意をし、 牧師に転身。 ゴスペル歌手になった。

代表曲は「Let's Stay Together
13 ビヨンセ
(Beyonce)

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<クレイジー・イン・ラブ>

<シングル・レディース>

<セイ・マイ・ネーム>
2000年代、2010年代において、最も大きな功績を残した黒人女性歌手。

米テキサス州ヒューストン出身。幼少のころから、たぐいまれな才能を見せた。 自らの両親のサポートを受けて、地元の女の子たちとグループ「デスティニーズ・チャイルド」を結成。 ティーンエイジャーだった1990年代から21世紀初頭にかけて、 「セイ・マイ・ネーム」「サバイバー」などの特大ヒットを出した。

2003年、後に夫になるラッパー、ジェイジーと共同で、 ソロシングル「Crazy In Love」を発表。 これが世界的なメガヒットとなった。 この曲は、2000年代で最高の傑作の一つとして高い評価を得ている。

デスティニーズ・チャイルドは解散状態となり、 ソロ活動に専念。 それ以来、精力的に優れたアルバムを発表し、いずれも大成功を収めた。 シングルとしては「シングル・レディース 」「イレプレイサブル」などが全米1位になった。2016年のアルバム「レモーネード」は、 10年代の最高のアルバムの一つとして称賛されている。
14 マライア・キャリー
(Mariah Carey)

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<ドリーム・ラヴァー>

<ヒーロー>

<恋人たちのクリスマス>

<オールウェイズ・ビー・マイ・ベイビー>

<ファンタジー>


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1990年代の音楽界を制覇した歌姫。 全世界の人たちに親しまれる特大ヒット曲を連発した。広い音域が持ち味で、甘い低音から笛のような声まで自在にこなす。

1990年にデビューし、シングルをいきなり5曲連続で全米1位にするという記録を樹立した(「ビジョン・オブ・ラブ」「エモーション」など)。 さらに、ライブ盤に収録された「アイル・ビー・ゼア」も1位。 続いて彼女の中で最大の売上となるアルバム『ミュージック・ボックス』(1993年)から、「ドリーム・ラヴァー」「ヒーロー」が1位。 続く「恋人たちのクリスマス」は1位になっただけでなく、そのあと数十年以上にわたり、世界のクリスマスソングの定番となった。

1995年には「ファンタジー」「ワン・スウィート・デイ」が1位。 このうち、男性歌唱グループのボーイズIIメンと歌ったワン・スウィート・デイは、 ビルボードで16週連続1位という新記録を打ち立てた。 この記録は、2019年にリル・ナズ・Xの「オールド・タウン・ロード」に抜かれるまで、24年にわたって維持された。

その後もヒットを飛ばし続け、2005年の「ウィ・ビロング・トゥゲザー」は14週1位を獲得。年間チャートでも堂々の1位に輝いた。
15 ルーサー・バンドロス
(Luther Vandross)

【動画】
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<ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー>

<ネバー・トゥー・マッチ>


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「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」(Amazon)→

「ネバー・トゥー・マッチ」(Amazon)→

「エンドレス・ラブ」(Amazon)→

「ヒア・アンド・ナウ」(Amazon)→
女性の気持ちを代弁していたと言われる。彼が好きなボーカリストはアレサ・フランクリンやディオンヌ・ワーウィックら女性ばかり。女性目線で歌うから、ラブソングがキュンと切ない。

プライベートの恋愛事情とかが体形に出やすかったようで、アルバムを作ったころはやせていてもライブでは少し太っていたり…。同じ衣装を作り直せばいいのにパンパンのジャケットでステージに上がる。どう見えるかよりも、アルバムを作ったときの自分の気持ちは譲れない。そんな意識が強くにじんでいた。だからこそ歌に説得力がある。

オリジナルもカバーもなにを歌ってもルーサーになる。自分色に染め上げるのが特色。コーラスにも強いこだわりを持ち、女性コーラスを響かせる「女性2人、男性1人」という編成を持ち味とした。
16 ティナ・ターナー
(Tina Turner)

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<愛の魔力>

最強のディーバと言われれば、うなずいてしまうだろうその圧倒的なボーカル。そして全身からあふれ出すエネルギー。

夫婦デュオのアイク&ティナ・ターナーとして、 1960年代、1970年代に活躍した。 この間、夫アイクから虐待を受けていたことは有名だ。

その後、ソロ歌手として大活躍した。 1985年のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞した。 受賞曲は「愛の魔力」。

2000年12月に行った世界ツアーを最後に歌手を引退した。米国からスイスのチューリッヒに居を移してのんびりとした生活を送った。 60歳を過ぎても、年齢を感じさせないくらいパワフルさだった。

2003年、ディズニー映画「ブラザー・ベア」のサウンドトラックの中の1曲で3年ぶりの歌声を披露した。1曲限りの復活は、同映画の音楽を担当する英歌手フィル・コリンズとの友情によって実現した。長年にわたる友人であるコリンズは「声が大好き。才能もある」と尊敬するターナーに「ターナーが歌うことをイメージして作った」という曲を聴かせて「この歌をぜひ君に歌ってほしい」と頼み込んだ。ターナーは曲を聴いた後、「OK。分かったわ」と言って引き受けたという。

出典:https://www.thoughtco.com/greatest-randb-singers-of-all-time-2851645